大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大森簡易裁判所 昭和38年(ろ)1264号 判決 1965年4月05日

被告人 川元正

昭七・一・一六生 自動車運転者

主文

本件公訴を棄却する。

理由

被告人が昭和三八年一一月一二日午後〇時二〇分ごろ普通乗用自動車を運転して、東京都公安委員会が道路標識によつて最高速度を五〇キロメートル毎時と定めた大田区雪ヶ谷町一二六番地附近道路を通行するに当り、右最高速度を一二、一キロメートル超過する毎時六二、一キロメートルの速度を出していたという公訴事実は、第二回公判調書中の証人豊島芳三、同、小林吉三、同、古田士邦の各供述部分によりこれを認めることが出来るので、この限りにおいて被告人は有罪と認められるべきものであるが、本件においては、次に述べるように法の適正な手続が行われていなかつたと認められるので、これを(1)逮捕の合法性の問題と、(2)逮捕官憲の暴行陵虐と、(3)総合的判断との三段に分つて評論する。

(1)  逮捕の合法性の問題

被告人が前記の日時に、前記違反の場所から約三〇〇メートル先の同町一四六番地附近の道路において警察官から停車を命ぜられ、速度違反である旨を告げられ、運転免許証の提示を求められたこと、その際に、被告人がその違反事実を否認し且つ運転免許証の提示を拒んだこと並に被告人がその際、右停車の現場において道路交通法六八条、同九五条二項違反の現行犯人として逮捕されたことは、証人古田士邦の供述に関する前記公判調書及び同人作成の道路交通法違反捜査報告書添付の図面並びに第三回公判期日における証人村上正の供述及び同人外一名の作成にかかる同日附の現行犯人逮捕手続等により、これを認めることができる。

さて、右逮捕の合法性について考えるに、先ず被告人の前記の運転免許証提示拒否の所為は道路交通法六七条一項の場合に該当しないのであり、従つて同法九五条二項の違反にはならないものであるから、この点についての違反を理由とする現行犯人逮捕は明らかに違法である。

次にそれでは、本件逮捕は道路交通法六八条違反の現行犯人逮捕として合法なものとなり得るであろうか。この点については若干の疑があるが、本件逮捕の場所は速度測定終了の場所から約三〇〇メートル離れていること、その間追呼されている事実(赤ランプ等による合図や追尾、サイレンによる呼びかけ等)がないこと、被告人が賍物兇器等を所持していないこと、身体にも被服にも犯罪の証跡がないこと、逃走しようとしていないこと等の諸点から見て、本件の場合を現行犯と認めること又はみなすことは困難である。元来現行犯人の逮捕については司法的抑制がなく何人でも令状なしでこれを逮捕することが認められている所以は、当該事件の現場における諸状況から見て何人にも誰が犯人であるかが明かに識別できるからに外ならない。しかるに本件の場合においては、当該取締担当の係官以外には被告人が如何なる罪を犯したのか一見して明瞭であるような状況は存在していないのである。それ故に本件の場合は厳格に速度違反の現行犯に当らないものと見るべきであるから、この点においても被告人を現行犯人として逮捕したのは違法であつたというべきである。

なお、また仮に、現行犯の概念をやや寛かに解し、本件の場合をこれに含まれるものと認めるとしても、なお、逮捕の必要性が有つたかどうかが問題である。刑事訴訟規則一四三条の三は逮捕の理由がある場合においても、その必要がないと認めるときは裁判官は逮捕状の請求を却下すべきであると規定しているのであるが、この規定の趣旨は現行犯人逮捕の必要性を判定する規範としても準用せられるべきものであろう。即ち犯罪の軽重その他諸般の事情から見て逃亡の虞や罪証隠滅の虞がないと認められるときは、逮捕の必要はないとするのが相当であると考えられる。これを本件について見れば、その違反事犯は自然犯ではなく、処罰よりも指導と良習慣の育成とに重点をおくべき軽微な法定犯であり(時速がもう二、三キロメートルも低ければ起訴されなかつたであろう)、被告人の職業も勤務先もその運転する車輛自体(車種、ナンバー、所属会社)から判明しており、その氏名、年令、住所等もその勤務先に電話することによつて容易に明かにし得たであろう。加うるに被告人は営業中であり、逮捕によつて受ける生計上の損失は、違反事実により受けるであろう罰金額を上廻ることもあり得る。しかも、このような軽微な事犯において逃亡や罪証隠滅を計るということも考えられないであろう。かように考えて来ると、本件において逮捕の要件が揃つていたとしても、その必要性は存在しなかつたと認められるのであり、必要を超える権能の行使はその乱用であつて、無権能の場合と同じく、許さるべきものではないのである。

(2)  逮捕に当つた官憲の暴行陵虐

上述したとおり、本件被告人の逮捕は違法なものであつたか少くとも不必要なものであつたと認められるのであるが、この不正当な逮捕を実施するに当つて、逮捕官憲が被告人に対し公衆環視の中で左手を背中にねじ上げ首筋を掴んでこれを強く前方に押し曲げるという暴行陵虐を連続的に加え、このために被告人は約二週間の入院加療とこれを含めて、一ヶ月の休養をも要するワイツプラツシユ傷害(頸椎変型症の一種)を受けたことは、東京地方裁判所昭和三九年(ワ)第二八九号国家賠償請求事件の判決書(昭和四〇年一月二九日民事第二五部判決)によりこれを認めることが出来る。

いうまでもなく、逮捕は実力を以て人の自由を拘束する行為であるから、被逮捕者が逃亡又は反抗を企て又はその虞がある場合においては、必要に応じ腕力を用い又は手錠、捕縄等を使用することも許されるのであり、極端な事実においては拳銃の使用も亦已むを得ないのであるが、本件においてはこのような必要があつた状況は認められない。即ち前記村上証人の当公判廷における供述によれば、被告人は当初から速度違反の事実を納得せず、取締警官に対し全面的に非協力の態度をとつていたが、数人の警察官が来合せ現行犯人として逮捕すると告げられるに至つては、結局あきらめて、自分から車を下りて逮捕に応じようとしたのであり、その際には抵抗の色も逃走の気配も全く存在しなかつたと認められるのである。このような無抵抗の者に対して加えられた前記のような暴行陵虐が刑法一九五条一項の犯罪を構成することは言うまでもないが、これを外にしても、このような暴力の行使は、それが有罪の証拠を確保しようとする捜査活動に奉仕するものである限り、その不許容性において拷問のそれと択ぶところがないであろう。

公務員による拷問が憲法三六条により絶対的に禁止されていることは人の知るところであるが、官憲が違法若しくは不必要な逮捕を行うに当り、無抵抗の者に対して暴力をふるい、之を警察署に連行して取調を行つた上、更に之を留置するという一連の行為は、いわば形を変えた拷問であり、憲法三六条の精神から見て許すべからざるものというべきである。

(3)  総合的判断

さて、上述のとおり、本件においては、諸般の状況から見て法律上許容することの出来ない逮捕が行われたこと、並びにこの逮捕に際し事実上拷問と殆ど同一の効果を伴うべき陵虐が行われたことが認められるが、この認定は本件の裁判に如何なる影響を及ぼすものと考うべきであろうか。思うに、違法又は不適正な逮捕が行われたというだけでは、未だ以て公訴手続全体を無効とするには足らず、従つてそれだけでは刑事訴訟法三三八条四号の規定を適用するに充分ではないであろう。しかし、本件の場合の如く軽い事案に対して不正当な逮捕を敢行し、その際に必要がないのに暴力を振つて被告人に傷害を与え、その威力の影響下において取調を行つたという事態を一全体として考察するときは、それは事実上憲法三六条に違反するものであり、同時にまた同法三一条に規定する法の公正な手続による裁判の保障(わが憲法三一条もアメリカ憲法にいうところのdue process of lawを規定するものであるとされている。)を蹂躙するものと考うべきではないだろうか。犯罪の捜査が常に必ずしもキレイごとではあり得ないことは認めなければならないが、捜査活動中の官憲の故意の犯罪行為の上に公訴が行われるという如きことは、法治国として我慢のできないところであり、また本件の場合の如く、刑の最高限が懲役六月又は罰金五万円という程度の法定犯を取締るために、その捜査担当官が長期七年の懲役に当る自然犯を犯すというような事態は到底認容さるべきではなく、このような場合こそ憲法三一条の運用が期待される典型的な事例であると考える。

なお、犯罪の捜査手続の段階において憲法三一条以下数条の保障規定に牴触する事実が行われたとしても、それは常に必ずしも公訴提起の手続規定の違反と同視すべきものではなく、また必ずしも公訴提起そのものを無効にするものとは限らないであろう。しかし、問題を憲法三一条違反の場合に限定して考えるならば、そのような訴訟事件においては被告人に刑罰を科することは同条により許されないのであるから、本件の場合については、憲法三一条を適用し、刑事訴訟法三三八条四号を準用して公訴棄却の言渡をすることが適当であると判断する次第である。

なお、右に対する反対意見として、捜査の段階において被疑者に対し職権乱用や暴行陵虐が行われたとしても、それはその者の犯罪行為の存否を左右する事実ではなく、その者がこれによつて心身に損傷を受けた場合には国家賠償を受ける道が開かれており、また、この種の陵虐を行つた者に対しては刑法一九五条による処罰も可能であり、検察官がこれを不起訴又は起訴猶予処分にした場合には準起訴の方法も存在するのであるからこれらにより被疑者は満足すべきであり、その上、更に自己の犯した罪の刑を免れるべきではないとの見解もあり得るが、わが憲法三一条はその母法と見られているアメリカ憲法修正第五条とは規定の型式を異にしており、アメリカの右条文が「生命、自由又は財産を奪われない」と規定しているのに対し、「刑罰を科せられない」と明定しているのであるから、暴行陵虐を受けた者に対して他の如何なる物的又は心的の救済が可能であり、又は実現せられたとしても、それらによつて憲法三一条違反の瑕疵が治癒される理由はないものと考うべきである。

以上判示の理由により主文のとおり判決する。

(裁判官 高橋正己)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例